何かを新しく始めるには単純に追加するか今継続している事を終了させて開始するかしかないと思う。
長く続けているとその慣れ親しんだ場から抜け出す事は困難を伴う。
袖を引かれたり、足を掴まれたり、情で絡めたりと様々だ。多くはその煩わしい事柄に対してあがらう行動がとても面倒になり、仕方なく従う場合もあるだろう。しかしそれは後々遺恨を残す事態にもなりかねない。
喉もと過ぎれば熱さ忘れる、と広くいわれるようにその困難は一時の嵐のようなものだ。
苦しみの時間はやがて笑い話へと転換されるだろう。しかし後悔は苦しみの時間を蓄積するだけだと考える。その根拠は自身の経験に基づく。未だ暦の半分しか生きていないとはいえ、笑い話へと消化しきれない後悔は存在する。
では後ろを見ずに生きるにはどうすれば良いか。
それは常に前進を心がける事が望ましいと思う。なぜならば時間は戻らないという自然現象は明白だからだ。それを基準として思索すればおのずと過去を振り返り悔やみ恨む時間など1秒も無いと理解できるだろう。だからこそ進まなければならない。今よりより良い時間を経験しなければならない。
出来ない、という事は出来ない理由にならない。
同じ人間に同じ時間を与えられているのだから出来ない事にはならないと極論ではあるが考える。ただ、それをどうやって出来うるようになるか考えつくのかという差が存在するだけだ。その差を埋めるにはもっと見聞を広げ、参考にし、工夫し、行動しなければならないと思う。
そうだ。
結局は行動するかしないか。
ただそれだけの事なのだ。
世界はシンプルに出来ている。
PR